哲学
どーも、ペスです。
最近、Twitterでよくボヤいてます。
前はめちゃテキトーな紹介でしたが、ペスのボヤキに
興味があったら、
ツイッター
にアクセスしてフォローしてみて下さいませ。
話題は飛躍しまくりますけど。
まあツイッターはそういうもんなんでね。
よかったら是非。
さて。
今回のテーマは【現実逃避】。
以前チラリと
「現代は現実逃避で溢れている」
みたいなことを書いたような記憶があるんですが、
そのことについてです。
普通、何の説明もなく現実逃避という言葉を聞くと、
「妄想」とか「引きこもり」とかそーゆー感じの
イメージを抱くと思います。
現実を忘れることだったり、現実を見ないようにすること
だったり、一般的には自分が逃避していることを分かってて
やめられないことを現実逃避と言いますからね。
ですが、実はこれは「自覚症状がある例」に過ぎません。
病気で言えば、鼻水が出たり咳が出たりするから
多分風邪だと思う、みたいな状態。
たまには大きな病気だったりすることもありますが、
この状態は自覚症状があるだけまだマシなんですね。
少なくとも「このままじゃマズイ」と思って、
治そうとしますから。
しかし、病気というのは自覚症状がないものの方が
恐いワケですよ。
ガンや脳梗塞なんていうのは、知らないうちに進行して、
気付いたときにはバタッ、です。
現代における現実逃避というは、まさにコレ。
ガンや脳梗塞と同じように僕らの気付かぬうちに
現実逃避という悪魔は僕らを蝕んでいるのです。
僕はここ数週間、いわゆる「普通」の生活をしていました。
ここで言う「普通」とは、飲みに行ったり、買い物したり、
どうでもいい会話をしたり、そーゆー普通の人が普段から
当たり前にやっているようなことを指します。
僕は普段そーゆーことをしない、というか正しくは
諸々の事情があってできないんですが、最近は
仕事の都合もあって、そんな生活をしてたんですね。
いくら下らないことだと分かっていても、飲み会を
全部断ったり、すべての世間話を無視したりしてたら
僕もさすがに仕事がなくなっちゃいますから。
ただ、やっぱり最初は少し抵抗がありました。
「こんなことばっかりしてて大丈夫か?」
みたいな。
あ、誤解のないように言っておきますが、一昔前までは
僕もカラオケとか飲み会を楽しいと思ってたんです。
というか今もそれなりに楽しいとは思ってます。
ただ昔と今で大きく違うのは、その宴が終わった後の感情。
昔はこんなことなかったのに、ここ数週間その生活をしてみて、
僕はめちゃくちゃ虚しくなりました。
なんで虚しくなったか分かるでしょうか?
今の僕には「現実逃避している」という自覚症状があるからです。
もう分かったと思いますが、今回ここで僕が言っている
【現実逃避】というのは、普通の人が普通に過ごしている
その生活そのもののことなのです。
見たくないものを見ず、見たいものだけを見る。
それが僕の言う【現実逃避】です。
普通の人は誰も自分が現実逃避をしながら
生活しているなんて思ってないと思います。
そりゃまあ世間一般に「普通」と言われる生活を
してるんだから当然と言えば当然。
みんな自分は会社で真面目に働いて、たまに息抜きに
飲み会に行って、それなりに堅実に生きていると
思い込んでいるワケです。
でも、それって本当は「見なきゃいけない現実」から
目を背けて生きてるんじゃないの?と僕は思うんですね。
ちょっと考えてみて下さい。
あなたは会社で働くために生きてるんですか?
あなたは飲み会をやるために会社で働いてるんですか?
あなたの生きる目的はその生活のままで達成できますか?
この3つを考えるだけでも、いかに現実を見失って
日々生活しているのかが分かると思います。
みんな自分の人生が無意味だと自覚するのを怖がって
「生きる目的」にすら目を向けないのです。
「自分がなぜ生きているのか分からない」という
現実に目を向けないのです。
いや、目を向けないというより、長年の洗脳によって
目を向けることが無意味なことだと思い込まされている、
と言った方が正しいかもしれません。
まあ点数至上主義の日本の教育で育てられたら誰でも
そうなっちゃいますよね・・・。
僕の好きな歌詞にこんな一節があります。
やりたいことをやって暮してるなんて言って実は
やれることだけやってただけでしょ
(SURFACE「なにしてんの」より引用)
まさに僕が言いたいのはコレ。
みんな「やりたいこと」ではなく「やれること」を
やってるだけだと思うんですね。
それもほとんどが無自覚に。
だから余計に厄介なんですよ。
しかもこの症状は依存性が高過ぎる。
「やれること」の方が楽なもんだから、慣れれば慣れるほど
その生活から離れられなくなります。
年齢が高くなるほど思考の柔軟性が失われるのは
主にこのためです。
確かに「やれること」の中にも「やりたいこと」は
あるかもしれません。
でも、そんなキャパの狭い「やれること」になんて
価値はないと思うんです。
このブログに書いてあることが、誰にでも書けるような内容、
例えば普通の日記みたいなものだったら、そこに読む価値は
生まれないワケですよ。
他の人が書けないこと、今までの自分だったら
書けなかったようなことを書くから読まれる。
尚且つ、それが「やりたいこと」だから心がこもる。
そうやって価値は生まれるのです。
これは人生も同じ。
誰にも真似できない人生、且つ、自分の達成したい人生を
目指すから、そこに価値が生まれるのです。
もちろん必ずしも僕の言うことが正しいとは限りません。
あくまでも上に書いたのは、僕の考えであって、
「その日その日が楽しければいいじゃん」と思うなら、
そうやって過ごすのも一つの道です。
僕にはそんな虚しい人生が幸せだとは思いませんが、
快楽に溺れるのも、それはそれで幸せなのかもしれません。
人それぞれみんな価値観は違いますから。
でも、1つだけ覚えておいて欲しい言葉があります。
必要なことのみをせよ
僕のバイブル、マルクス・アウレーリウス【自省録】に
ある言葉です。
これは、人生において必要なことだけをしなさい、
という意味ですが、大事なのは「あなたの人生において」
ということです。
あなたが人生で必要だと思うことのみを行えば、
そこには大きな余暇(余裕)が生まれ、心安らかに
人生を送ることができるだろう、と。
彼はそんなことを言っています。
「必要なこと」って一体何なんでしょうね?
答えはあなた自身で考えてみて下さい。
ではでは。
このブログについて
どーも、ペスです。
ここ数週間にアップされた記事は、こちらの諸事情により
削除させて頂きました。
勝手でごめんなさい。
あれらの記事は気が向いたらレポートにして配布しようと
思っているので(もちろん無料で)、必要な場合は、
それまで待っていてもらえればと思います。
さてさて。
今回はこのブログのある意味「肝」とも言える
【勉強】についての記事を書いておこうと思います。
勉強って言っても別に「もっと勉強しやがれ、この野郎!」
みたいなことが書きたいワケではなく、僕にとって
勉強とはこういうものですよ、というのを書くだけです。
このブログを読む以上は、一応知っておいて欲しいので。
読みながら徒然と考えてもらえればと思います。
みんなの大嫌いなお勉強。
周りを見ても僕ぐらい異常なテンションで(笑)
「勉強が好き」と言ってるヤツはまずいません。
というのは、多分「勉強」の意味がみんなと僕とでは
違うからだと思うんですね。
学生なら宿題やったり、学校の授業を受けたり、テストのために
復習したりすることが勉強だと思っているでしょうし、
社会人なら資格試験の問題集を解いたり、C言語を覚えたり、
ビジネス書を読んだり、セミナーに出たりすることが
勉強だと思っている。
だから勉強が嫌いになるんだと思うんです。
これだと「やること」にフォーカスしちゃってますから。
でも、僕が【勉強】と言うときはもっと広い意味で
この言葉を捉えているんですね。
というか、僕の言う【勉強】は行動ではなくて、
態度とか姿勢とか意志とか、そっちの意味の方が近い。
つまり僕が「勉強好き」というとき、それは
「何かを学ぼうという姿勢が好き」ということ
なんです。
もっと言えば「そんな自分(や人)が好き」なんです(笑)
例えば、僕にとって【勉強】とはセミナーに出ること
ではなくて、どちらかと言えば、セミナーに出て何かを
学ぼうとするその姿勢そのもののことを指します。
学校で言えば、授業に出ることが勉強ではなく、
その授業からちゃんと何かを学ぼうとすることが
【勉強】だということです。
この違い、分かるでしょうか?
世間では「勉強しなさい」と子供を叱る親が多いようですが、
この違いが分かれば「勉強しなさい」と叱ることがいかに
矛盾した行為なのかが分かってもらえると思います。
(もちろん僕の言う意味での【勉強】において、ですが)
そもそも【勉強】とは、誰かに「させられるもの」ではなく
自分で「するもの」なんですから。
人生は死ぬまで勉強である
結構こーゆーこと言ってる人って多いですよね。
ググッただけでもいろんなブログでこの手の言葉が
目につきます。
ただ、それって本気で思ってんの?って思うんです。
一時的に「そう思った」だけなんじゃないの?って。
まあ誹謗中傷以外であれば誰がどんな発言をしようが
ほぼ自由だと思いますが、ここは敢えて書かせて下さい。
「安易にその手の発言はしない方がいい」
いや、別にいいんです。
別にいいんですけど、ブログで「人生死ぬまで勉強だ」とか
言ってる人に限って何も勉強せずに生きているような気が
するんですよね。
生きていることそのものが勉強なんだ、みたいな発想で。
あくまでもこれは僕の考えですが、僕は
人生は生きてるだけなら無駄である
と思ってます。
あ、もちろんこれは「勉強」という意味において無駄だ、
ってことね。
人間の尊厳を無視した発言ではないので勘違いなきよう。
話を戻します。
なぜ人生は生きているだけなら無駄なのか。
それは、授業に出て何もしないのと同じだからです。
人生が全て勉強だとするならば、生きている間は
ずっと授業中だ、ってことですよね?
ってことは、僕の定義で言えば、生きている間は常に
何かを学び取ろうとする姿勢でないといけないワケです。
そうじゃないと人生という名の授業が無駄になっちゃうから。
だから、生きていることそのものが勉強だ、
なんていうのは幻想だと僕は思っているのです。
自転車に乗ってるとき、昼ご飯を食べてるとき、
ギター弾いてるとき、ゲームやってるとき、
カラオケで歌ってるとき、飲み会やってるとき、
どんな時でもそのときを無駄にせずに学べていますか?
これが「人生死ぬまで勉強」ということです。
いつどんなときでも何かを学んでいる。
こんなことを実際に実践できている人が
この世に何人いる?って話ですよ。
僕だってまだまだこんな域には到達していません。
気が付けばボーっとしてるし、学ぶ姿勢を
忘れているときだって当然あります。
人間だもの(笑)
でも、だからこそ、勉強を大事にしてるんですね。
本を読んだり、セミナーに出たりするのも大事ですが、
僕にとってそれ以上に大事なのは、
常に勉強できているかどうか
なんです。
何をしていようが関係ありません。
何をしてても学べているかどうかが問題なのです。
歩いてるときでも、テレビを見ているときでも
マンガを読んでるときでも、映画を見ているときでも、
トイレに行っているときでさえも、何かを考え、
何かを学び取れているか。
道端に落ちているゴミを見て
「なぜあんなところにゴミが落ちているのか」
「なぜ道端にゴミを捨てる人と捨てない人がいるのか」
「道端にゴミを捨ててしまう人を心理学的に説明できないか」
「大勢の人が見ている前でも人は道端にゴミを捨てられるのか」
「そもそもゴミとは何なのか」
「客観的なゴミというものは存在するのか」
と深く考えられているか。
人生は死ぬまで勉強である
っていうのは、こういうことだと思うんです。
読書に励むのもいいですが、たまには何も無いところから
何かを学ぶ訓練、なんてのもやってみてはいかがでしょうか?
そこに「勉強が好きになるキッカケ」が隠れているような
気がします。
ではでは。
ビジネス
どーも、ペスです。
えー、まず気付いていないことは有り得ないと思いますが、
一応書いときます。
先週辺りから【単語帳】なるものを作りました。
内容は見てもられば分かる通り、このブログに登場する
単語の説明および、それに付随した書籍などの説明が
書かれています。
今はまだ4つしかアップしてませんが、気が向いたら
適当に増やしていく予定なので、まあ何かの参考にでも
してもらえたらな、と。
特に書籍の説明に関しては、書籍名で検索してもられば
分かりますが、巷ではあまりレビューされていないような
難解で(レアで)重要な本を紹介しているつもりなので、
できれば読み流さないで欲しいというのが個人的な願いです。
というか、むしろ「読めよ、この野郎!」みたいな(笑)
実際、その辺の下らないビジネス書100冊読むより
ハンナ・アレントとかニーチェの著作1冊読む方が
よっぽど役に立ちますからね。
読めるかどうかは保証しませんけど(笑)
フォーカスリーディングで有名な寺田昌嗣さんはブログで
分厚い本、古典的名著を読むことに苦痛を感じるとしたら、
それはカナリヤバイ状態だと思って間違いありません。
どれくらいヤバイか?
ちょっとした計算でも、電卓をたたかないと答えを出せない
というぐらいヤバイ!
つまり、頭が「複雑な思考力」や「文脈を読み解き、
整理する理解力」「場面、奥行き、展開を想像するイメージ力」が
衰えている可能性があるっていうことなんです。
これは、ヤバイ。
人の表面的な言葉や、誰もが知っている言葉にしか
反応できない体質になっていきつつある可能性がありますよ。
(http://www.sr20.jp/yomoyama/try-heavybooks.htmlより引用)
なんてことを言ってます。
彼がどれぐらい信用に値する人なのかは僕には未知数ですが、
少なくとも僕が単独で叫ぶよりかは説得力あるかな、と(笑)
そんなワケなので、たかが単語帳だからって邪険に扱うのではなく、
ちゃんと意味があって書いてるというのを分かってもらえれば
嬉しいです。
んじゃ本題へ入っていきましょう。
今回からそろそろビジネスの話に少しずつ触れていこうかと
思っています。
今までの小難しい相対主義の話がどうやってビジネスに
絡んでくるのか。
その禁断の謎がやっと紐解かれるワケです(笑)
その第一回目として今回は
【ビジネスにおけるヒーローの意義】
みたいなのを話していければなー、と思ってます。
久々に出ましたねー、「ヒーロー」。
忘れてたらリンクをクリックして思い出して下さい(笑)
一応簡単に振り返っておくと、ヒーローというのは、一言で言えば、
迷える人を導いてくれるリーダー的存在のことでしたね。
相対主義では人々は不安を抱え、自分の歩く道さえ分からず
路頭に迷っている。
言い換えれば、自分で自分の目標を定めたり、目的を持って
行動したりすることが出来なくなっている。
だから人々は信用・信頼でき、自らを導いてくれる
理性的権威ある人、つまりヒーローを求めているのである。
今までのいろんな話を要約すると、こんな感じです。
じゃあこれをビジネスに当てはめるとどうなるのか。
ちょこちょこ話していますが、今の時代はビジネス的にも
混沌とした時代(時期)です。
有り得ないぐらいモノが売れない。
有り得ないぐらい生徒が来ない。
有り得ないぐらい新卒採用枠が少ない。
今まである程度「常識」と思われていたものが
通用しなくなってしまっている。
今までだったら「取り敢えず就職して・・・」みたいな
話が出来たワケですが、今はその「取り敢えず」という
前提さえ成り立たない。
要は、みんな「どうすればいいのか分からない」ワケです。
人は不安を不安のまま放っておくことが出来ません。
これは心理学的にも証明されていることで、
人は心が不安(不安定)だと、それをなんとか
ニュートラルな状態に戻そうとするんですね。
生物学的にはホメオスタシス(恒常性)とか
呼ばれたりもします。
現実逃避っていうのも、その手段の1つです。
現実を見ないようにすることによって、
今持っている不安を一時的に忘れてしまう。
「今のままじゃ売り上げが落ちて社員の給料も
払えなくなってしまう。なんとかしなきゃ・・・」
「でもまだそれなりに商品も売れてるし、放っておいても
景気は回復するだろうから、まあ大丈夫だろう・・・」
みたいな。
そうやって現実の不安を直視しないことによって
人は「一時的に」心を安定させるワケです。
ただ当たり前ですが、現実逃避では現実を変えることは出来ません。
言い換えれば、もっている不安を無くすことは出来ない。
本当の意味で不安を解消するには、やはり辛くても
現実(不安)と向かい合うしかないのです。
でも今の時代を生きる人々は不安と向き合うことはできても、
その不安を乗り越える方法が分からないんですね。
「どうしたらいいんだろ・・・」
って、ひたすら苦悩し続けている状態。
だからこそ「こうやれば大丈夫ですよ」と言ってくれる存在
つまりビジネスにおいても【ヒーロー】がより重要になって
きているのです。
少し前に週刊ダイヤモンドか何かの経済雑誌で
神田昌典さんが
「これからは【教える】ビジネスが流行る」
みたいな発言をしてましたが、それはやっぱり
流石というか、的を得ていると思うんですね。
混沌、混迷とした時代には、われわれは学ぶしかないんだから。
デカルトが西洋中の本を読み漁ったように、
明治時代の偉人(夏目漱石や福沢諭吉ら)が
驚くほど勤勉だったように、
不安というのは人々を勉強に掻き立てるワケです。
僕がこのブログの理念に挙げている
「みんなが勉強好きになれば世界は楽しくなる」
というのにも、そーゆー意味が込められています。
福沢諭吉も
【学びて富み、富みて学ぶ】
って言ってますからね。
まあ福沢諭吉の話は別にいいんですけど、
要は、学びたい人が増えている今は
教える人が儲かるんじゃない?ということです。
ただ、自分の知りたいことを教えてくれる人なら
人は誰にでも金を払うのか、と言えばそれは
間違いなくノーですよね。
学校の先生を思い出してみて下さい。
みんな数学や国語や古典や世界史や英語の授業で
何かしら教えてくれます。
でもだからと言って、学校の先生全員に対して
「是非勉強を教えて欲しい!」と思うかというと
多分そんなことはないと思うんですね。
むしろ、教え方の下手な先生、ムカツク先生、
気持ち悪い先生が圧倒的多数を占めている、
というのが本音だと思います(笑)
じゃあそんな先生に対して教えを請いたいなんて
思うのか?ってことです。
ヒーローは理性的権威の塊である。
いつかこんなことを書いたような気がします。
理性的権威というのは、その人に対して「何かしてあげたい」
と思わせる権威(というか雰囲気みたいなもの)のことですが、
ヒーローはそれを備えた存在じゃないといけないワケですよね。
それプラスみんなを導いていくパワー、それは知識であったり
能力であったりセンスであったり色々あると思いますが、
そういったモノも持っていないとヒーローにはなれない。
ってことは、ビジネスにおいても「ただ教えるだけの人」は
ヒーローにはなり得ないワケで、それはつまり「儲からない」
ってことを意味するワケです。
信用や信頼なしで儲けるなんてことは
悪いことをしない限り不可能ですから。
さてさて。
ホントは今回の話はもっと短くなる予定だったんですが、
思いのほか長くなってしまいました。
まあ長いのはいつものことですから
もはや気にもならないことでしょう(笑)
ってか意味は分かってもらえました?
要は、
【今の時代はヒーローになれば、それだけで儲かるよ】
みたいなことが言いたかったんです。
これだけ読まれてしまうと微妙にいやらしい奴に
見られてしまいそうですが、そーゆーことなんだから
仕方がない。
ヒーローになるのは簡単じゃない、いや、簡単じゃないどころか
その道は茨の道です。
でもヒーローに向かう過程っていうのは、
自分の成長の過程ですから、本来は楽しいものだと
思うんですよね。
分からないことが分かるようなったり、
出来なかったことが出来るようなったり、
毎日がその積み重ねですから。
まあとにかく
「一緒にヒーロー目指してみません?」
みたいなことですよ(笑)
絶対楽しいと思うんだけどなー。
ではでは。


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