環境問題
どうも、ペスです。
この記事、いつ以来だろ??(汗)
なんだかんだでアクセス解析だけはちゃっかり見てたんですが、
どうも書きたい記事が浮かびませんで、こんなに経っちゃいました。
しかし【ペス】という検索をしている方が
いるのにはビックリです(笑)
大概はリップスライムのペス目当てなんでしょうけど、
なんとなく僕のブログを目指してきてくれてる気配もチラホラ。
ま、そんなことは気にせず、今日も淡々と語っていきます。
今日は最近ニュースなどで話題の原子力発電と
地球温暖化問題を取り上げてみようかな、と。
ザックリ言うと、地球温暖化については
あんまり語りません。
僕が色々言いたいのはどっちかというと原子力発電の方です。
俗に言う【原発】。
最近世の中はどうも二酸化炭素排気量を削減するために
火力発電を廃止して原子力発電をもっと普及させよう、
ってな雰囲気になっています。
でもメディアで強調されるのは
【二酸化炭素が減るから火力発電より原子力発電の方がいい】
という表現ばかり。
もちろんこれはこれで「二酸化炭素が減る」という点に
ついては正しいです。
ですが、後半の「原子力発電の方がいい」という点については
根拠がめちゃくちゃ乏しいと思いませんか?
よく思い出して下さい。
今まで原発での事故が何度ニュースになったでしょうか。
何度日本の数分の一が消滅しかけたでしょうか。
今まではほとんど運レベルで助かってきましたが、
果たしてこれからもそう上手くいくでしょうか?
ましてや原発の数が増えればそれだけ母数も増える。
となると事故の確率は・・・。
百歩譲って上記は「気をつけてね」で済むかもしれません。
しかし僕が本当に危惧しているのはもう一つの問題です。
そう、それがタイトルにある核燃料排気物。
某電力会社のCMでは
【廃棄物は地中数百kmに埋めてるから大丈夫】
みたいなことを言っています。
(※厳密にはもう少し違う表現です)
僕は正直、「えーーーー!?」です(苦笑)
確かにCMは数十秒ぐらいしかないし、十分に説明出来ないのも
分からなくはないですけど、某電力会社のスポンサー番組でさえ
同じようなことを多少詳しく説明しているに過ぎません。
聞こえてくるのは「ちゃんと埋めてるから大丈夫」みたいな
全然腑に落ちない説明ばっかり。
つまり僕の解釈としては
【腑に落ちる説明が出来ない】のではないか、と思ってます。
いつのことだか思い出してごらん?♪(笑)
CMでは廃棄物を地中奥深くに埋めて数百年安置しておく、
ってことしか言ってませんでしたよね?
これはどういう意味なのか。
そう、賢いあなたならもうお分かりのように
数百年後にどうなるかは言っていないのです。
さー、どうなるんでしょうね、数百年後。
と言いますか、もっと早い段階で土壌汚染が
進行し出すことぐらいはなんとなく想像出来ます。
いくら厳重に安置してても形あるものいつかは壊れるんです。
その時どうなるか。
それは僕にも分かりません。
※1(個人的には温暖化問題よりも環境汚染問題の方が
よっぽど深刻じゃないのか、と常々思っています)
※2(環境汚染問題をちゃんと解決すれば、そもそも地球温暖化
なんて止まるんじゃないの?というのが僕の持論です)
・・・突然ですが
僕の大好きな【恩田陸】という作家さんの著書に
【ロミオとロミオは永遠に】という名著があります。
もし上記で僕が語った原発の話に興味があるなら
是非この本を読んでみて下さい。
原発の話は一切出てきませんが、僕の言いたいことの
大半はこの本を読めば分かってもらえると思います。
ちなみに、ただの読み物としても十分面白いです。
経済
どうも、ペスです。
何気に続編です(笑)
前回の価値とは何なのかでは
価値の判断基準となるものについて書いていきましたが、
今回は世間一般の判断基準とされる、お金と価値の関係に
ついて書いていこうと思います。
まず、お金には価値があるのか。
「いやいやいや、あるに決まってんじゃん」
と思うかもしれませんが、本当にそうでしょうか?
お金の成り立ちを考えると、お金ってのはそもそも
モノとモノを仲介する役目として生まれてきました。
大昔はそれが貝であったり石であったりしたワケですが、
その貝や石は他のモノと交換できるからこそ、価値がありました。
逆に言えば
他のモノと交換出来る【交換価値】というモノがなければ
貝や石には何も価値がないと言い換えることも出来ます。
では現在はどうしょうか?
現在は完全にお金第一な社会です。
資本主義自体がお金そのものに価値が置かれる体制そのものですから
当たり前といえば当たり前。
つまり
モノよりお金の方が価値が高い、ってことになります。
これはある意味では正しいですが、
本来の在り方からすると本末転倒ですよね?
お金というのはモノに交換してこそ初めて価値を
見出せるもののはずです。
なのに交換する前から価値の高いモノになってしまった。
なぜこんなことが起きてしまっているのでしょうか。
これは僕が考えるに、需要と供給の関係が大きく
関係していると思われます。
語弊があるかもしれませんが、めちゃくちゃ簡単に言うと
モノが欲しい人よりお金が欲しい人が増え過ぎた、
ということです。
もっと言えば、世の中の全ての価値が
お金に依存してしまったためだとも言えます。
これが「高いモノは価値も高い」という見方そのもの。
例えば、【高級】という言葉がありますが、
【高級】なモノがなぜ【高級】なのかと言えば、
お金がたくさんかかっているからです。
高級キーボードは3万円もするから【高級】なのです。
高級車は何千万円もするから【高級】なのです。
逆に言うと、いくら質が高くて自分には価値のあるものだと
思っていても、値段が安ければ【高級】にはなれない、ということ。
つまり
資本主義における価値とは値段(お金)
となります。
しかし、これは一般的な指標に他なりません。
爆笑問題の太田さんも言っていましたが、
最終的に価値というのは、自分にとって
価値のあるモノなのです。
極端に言えば、お金に価値を置くのは、お金が大好きな人だけ。
誰もがお金を欲しがる理由は、お金に価値があるからではなく、
お金を使ったその先に価値があるからです。
ビジネスで言うところのベネフィットです。
掃除機は掃除機そのものに価値があるんじゃなくて、
部屋を綺麗に楽に静かに掃除出来ることに価値がある、
ってこと。
そんな感じですかね。
途中若干筋の通ってないところがあるような気もしますが、
まぁその辺はあまり気になさらぬよう。
ではでは。
経済
どうも、ペスです。
先週の【爆笑問題のニッポンの教養】、ご覧になりました?
僕は基本的にTVを見ない人間なんですが、
この番組だけは出来る限り欠かさずに見ていて、
中でも今回のはかなり面白かった。
やっぱテレビはあぁでないと。
お金の話から始まり、最後の方に
【価値とは何なのか】
という経済学の究極命題が飛び出しました。
あなたは【価値】って何だと思います?
高級志向とエコでも書きましたが、我々の心理は基本的に
「値段の高いモノほど価値が高い」と思うように出来ています。
もちろん例外も存在しますが、市場経済の世界に生きていて、
ましてや資本主義の日本に住んでいるんだから
こうなってしまうのはある意味、仕方のないことです。
しかし、実際に値段の高いモノほど価値が高いのかと言えば、
それは違いますよね?
例えば、ピカソの絵。
ピカソの絵は一般に数億円という単位で取引されますが、
ピカソの絵に何の価値も見出せない人はその絵に
数億円を出そうなんて思わないワケです。
でも我々はピカソの絵の価値は高いと認識している。
その理由は、そこに数億円払う大富豪やコレクターが
いるからであって、絵そのものに価値を見出している
ワケではないということです。
言ってしまえば
「高そうなモノは凄そうだぞ」と。
「金を出すヤツがいるんだから価値も高いはずだ」と。
そーゆーワケ。
で、こういう我々の価値判断は世間的信用や権威のある
他者に依存することが多く、「あの人が言ったんだから」
みたいな意味不明な価値が存在します。
なんでも鑑定団という番組を思い出してみて下さい。
この番組では名のある鑑定士の方が、
「これは・・・時代の・・・という作者が書いた・・・です」
という判断を下し、それが結果、値段として表示されます。
そして、ほとんどの出品者はその値段の優劣によって
自分の持っている作品の価値を判断する。
これってどこかオカシイと思いませんか?
ホントは出品者は【価値】を知らないのではなく、
その品の【歴史的背景】や【古物商の評価】を
知らないだけだと思うです。
だってその品を大事にしているという時点で
出品者自体はその品に価値を見出しているんですから。
なのに、値段として1万円ぐらいの価値しかないと
他者に判定されただけで、その価値は一気に下がってしまう。
つまり
価値はそれを持つ者、見る者の意識によって左右される
ということです。
「お前にはこれの価値は分からないだろうな」
という言葉が世の中には溢れていますが、
これは正確には価値が分からないのではなく、
価値がない、もしくは価値を見出せない状態
と言えます。
分かる人にしか分からないモノとは、すなわち、
分かる人にしか価値のないモノと同義語なのです。
話し出すと止まらないので、今回はこのぐらいに
しておきましょう。
それでは。
哲学
どうも、ペスです。
何気にまたランキングが上がってきたようで、
こんな拙いブログを応援ありがとうございます。
こうやって書きたいことがいっぱい浮かぶときもあれば
全く何も浮かばないときもあって、かなり更新頻度が
不安定なブログですが、暖かく見守って頂けると
嬉しいです。
さて、突然ですが、
【みきみきつんぱかるていは?YESかNOか半分か】
これの意味が分かる人ってどれぐらいいるんだろ??(笑)
実はこれ、僕の小学校時代に友人間で流行った質問なんです。
(現在僕は24歳です)
分かり難いように敢えて句読点とかカタカナとかは
使わずに書いてます。
ま、ここは全然重要な部分ではないので
あっさり答えを言ってしまうと、
【君、君、パンツはいてるか?YESかNOか半分か】
という逆さから読んだ質問なんですね、これは。
で、別にパンツをはいてるとかはいてないとか
そんなのはどうでもよくて(笑)この回答欄のYESか
NOか「半分か」ってのが今回の重要なテーマです。
普通、パンツは「はいている」か「はいていない」か
どっちかですよね?
でもこの質問には「半分か」というワケのわからない
選択肢があります。
「パンツを半分はいてる」状態というのは普通は考えられません。
では質問を変えてみることにします。
例えば、
あなたはこの意見に賛成ですか?YESかNOか半分か
と質問された場合はどうでしょう?
この場合であれば「半分賛成」という回答が一応成り立ちます。
(日本人的回答で印象は悪いですけどね 苦笑)
では更に質問。
あはたは男ですか?YESかNOか半分か
と質問された場合、どう答えますか?
一般的な回答だと、まずYESかNOの答えしか
出てこないはずですよね。
世の中に性別は男か女しかないはずですから
「半分は男」みたいな回答をしようもんなら
頭がおかしいと思われても仕方ありません。
しかし僕は生物学的観点以外から人間を見たとき、
100%男と100%女という人間は存在しないんじゃないか、
と思っているんですね。
そのヒントはお笑いコンビ【ブラックマヨネーズ】の
吉田さんのネタにあります。
彼のネタに「あ、今オレの中の0.1%の同性愛の心が目覚めた」
というのがあるのですが、これは見事に的を得ているな、と。
そもそも男ってなんだよ!って考えた時に
100%男である定義なんてどこにもないんですね。
かわいい物が好きだからって女とは言い切れないし、
車が好きだからって男とは言い切れない。
だから「あなたは男ですか?」という質問に軽々YESと
答えずに、ちょっと考えてみて欲しいのです。
僕の考えをまとめると、
本当の男なんてのはいないし、本当の女なんてのもいない、
そこにいるのは生物学的違いによって無理矢理分類された
「男に見える」人間と「女に見える」人間である
ということになります。
そういえば、誰かは覚えていませんが、昔あるタレントさんが
こんなことを言っていました。
「男とか女とか、たった2通りで分類されるのは
違うと思うのよね。
世の中には男女男とか女男女とか女女男とか
そーゆー人がいっぱいいるはずなのに、
男と女という2つの括りじゃ窮屈過ぎる」
まさにこれです。
今あらためて質問します。
あなたは男ですか?YESかNOか半分か。
では。
心理
どうも、ペスです。
【なんとなく】
「なんとなく」って何だろう?と数ヶ月考え続けて
僕から出た答えは【無意識】でした。
これといった理由もなく自分の考えてもいない行動を
とってしまうということは、自分の考えていない領域、
つまり、無意識の領域で何かが起こっているのではないか、
そーゆーことです。
「なんとなくTVを見てしまう」
「なんとなく好きになってしまう」
「なんとなく美味しそうに見えてしまう」
「なんとなく魅力を感じる」
人は「なんとなく」という行動をよくとります。
「なんとなく・・・がしたくなった」
例えば
「なんとなくラーメンが食べたくなった」
「なんとなく牛丼が食べたい」
これらは恐らく自分の気付かないところで
誰かさんの心理操作が働いていると僕は思っています。
いや、働いているというよりむしろ、
日々埋め込まれている、と考えた方が
いいかもしれません。
例えばテレビ。
テレビと言えば庶民の娯楽の代表格ですが、
本来テレビは戦争の道具として生まれてきました。
テレビが生まれた当初は相手側の情報を映像で伝えるための手段として、
ヒトラーの時代には大衆を洗脳するプロパガンダの手段として、
今は庶民に気付かれないよう国の洗脳をすすめる手段として、
テレビ文化は進化してきたワケです。
まぁウソと思うならそう思ってもらっても構いません。
というか、知らない方が幸せかもしれません。
マトリックスの世界と一緒ですよ。
赤いカプセルなんて飲まずにいれば、ずーっと
普通の世界を普通に生きていられるんですから
飲みたくなきゃ飲まなくていいじゃん、と。
話題がズレちゃいましたが、要は我々は人に
操作されていることにも気付かず、
「なんとなくそうしたかったから」という
理由で全てを片付けてしまっているワケです。
前に僕はディズニーの【魔法にかけられて】という映画を
見たのですが、この映画の最初の方にホームレスのお爺さんが
お姫様のティアラを盗む場面があります。
これも実は軽い洗脳です。
意図されたものではないと信じたいのですが、
こういった場面が世間の偏見を強化していることは
言うまでもありません。
「ホームレス」 = 「卑しい人間」 みたいな。
だから我々は「なんとなく」ホームレスの人を避け、
「なんとなく」全てのホームレスの人は卑しく、
物乞いばっかりして生きている、と思い込んでしまうのです。
他にも例を挙げましょう。
日本人のほとんどは気付いていないと思いますが、
日本における中国の報道はかなり偏っています。
例えば、中国の冷凍食品に毒が入っていた、とか
チベット問題が・・・とか、色々ありますが、
中国の良いニュースって日本で全然流れないと思いません?
中国人の誰かがノーベル賞を取って凄い功績を残しても
日本で大々的に報道されることはまずありませんし、
環境問題に取り組んでいる中国の団体にカメラが着目することも
まぁ有り得ません。
これらは「なんとなく」中国の悪印象を植え付けるための
世界的な策略じゃないかと僕は思ってます。
証拠はないので「絶対そうだ」とは言い切れませんが、
一応これでも勉強した上で述べてますから、そんなに
外してもないと思いますけどね。
つまり、世間の偏見や「なんとなく」という大きな力は
ほとんど世界のメディアが作り上げているということです。
そしてそのメディアの裏にはもっと大きな力が
作用している、と。
これ以上書くと多分眠れなくなるのでやめときましょう(笑)
たまには「なぜ自分はなんとなくコレをしてしまったのか」
って考えてみるといいと思いますよ。
そこには行動心理学、認知心理学、社会心理学、
さらにはトポロジー心理学なんかに関連した何かが
隠されているはずですから。

