社会



どーも、ペスです。

前回のベーシックインカム関連記事について
コメントがありましたので最初はそれに答える形で
記事を書いていこうと思います。


前にもどこかに書いたような気がしますが、
僕はベーシックインカムについては反対派です。

それは前回の最後にも書いたように、

平等を突き詰めると、不平等が起こるから

という理由から。

じゃあ平等とは何なのか、という議論はまたの機会に
するとして、とにかく、一般的な意味での平等というのは
不平等に成らざるを得ない要素を含んでいると僕は考えています。

そういった意味で前回は社会的倫理観、つまり、
「働かない」・「働けない」という側面から
ベーシックインカムについて切り込んだワケですが、
今回は

【どうやったらベーシックインカム的な制度が
 上手く回るのか】

というのをメインに僕の意見を書いてみようと思います。

よかったらお付き合い下さい。


まずは、せっかくコメントを頂いたので
その辺のことについて書いてみます。

ベーシックインカムは【福祉】ではなく元々は
【配当】と考えられていた、という内容については
僕は不勉強なので何とも言えません。

ただ、福祉とは何なのか、配当とは何なのか、
と定義を明確にしようとすると、僕が調べた限りでは

福祉は、国民であれば無条件に得られる公的権利

配当は、国民であっても国に何らかのメリットを
もたらす者だけしか得られない私的権利

になるのではないかと思います。

つまり、ベーシックインカムが配当であるならば
国への貢献度によって個人個人に配当される額が異なる、
といことです。

ってことは、これを平等と呼ぶのかどうかが
重要な論点になります。

僕自身はこれは平等だと思いますが、人によっては
誰もが均等の額を受け取ることを平等と呼ぶ場合も
あるでしょう。

ルイ・エバンという人はカトリック信者の視点、
つまり【神】対【人間】という捉え方で人間を見ているので
あーゆー発想(平等)になるんだと思いますが、
結局のところ、実際に実現可能なのかどうかが
僕は最も重要だと思うんですね。

だって、そうじゃないと話が前に進みませんから。

理想とか理念とか理論を語るのはある程度の知識や思考力が
あれば誰でも出来ます。

でも、計算上は上手くいくはず、ということが
現実には上手くいかないことが往々にしてあるのです。

その理論に間違いがないかどうかはその理論内では証明出来ない、
って20世紀の知の巨人ゲーデルも言ってますしね。


というワケで、ここからは現実的な話に入っていきましょう。

やっと本題。

今までの話は何だったんだ・・・(笑)

どうやったらベーシックインカム的な制度は
上手くいくのか。

これが本題でした。

忘れてたら思い出して下さい。

ただ、こんなこと言いながら僕はベーシックインカムには
反対だと言っている。

一体どっちなんだと思われるかもしれませんが、
どっちも、です。

敢えてベーシックインカム【的な】とか
意味深な言葉を付けていたのはそのため。

ベーシックインカムは無理かもしれないけども、
ベーシックインカム的なことは出来るかもねー、と。

それが僕の立場だと思って下さいませ。

じゃあベーシックインカム的なものとは何なのか
というと、僕は【道徳】だと思っています。


前にも書いた通り、僕はベーシックインカムの
考え方は好きです。

経済的余裕を手に入れれば、人はしたことだけをすることが出来て、
それによって生産性も上がるのではないか、という考えは、
現実的ではありませんが、実現すれば素晴らしいことだと思います。

思いますが、やっぱり現実にそんな理想のユートピアは
作れないと思うんですよ。

100万年に一度しかエラーが出ないはずだったアメリカの
金融デリバティブでさえ、サブプライムよろしく5年で
破綻しちゃったんだから。

ってことは、結局、決め事(理論)ではどう頑張っても
上手くいかないということが近年分かってきたワケです。
(昔から見て見ぬふりをしてたらしいけど・・・)

そこで登場するのが、道徳。

分かり易く言えば、人の善なる心、です。

こう言っちゃうと何か宗教っぽくなってしまいますが、
全くそんな意味は込めていません。

単に場面場面における個人の気遣いみたいなもののことです。

電車で席をゆずったり、道に迷ってる人を案内してあげたり、
そーゆーやつ。

その【心】を育てることで、ベーシックインカム的な
社会が成り立つんじゃないかと僕は思っています。

「それこそ理想論じゃないの?」

という声が聞こえてきてもおかしくない発言ですが、
僕の中でこれは理想論(ロマン主義)ではありません。

もちろん、完璧にこれを成功させることは出来ないと
思います。

ですが、8割・9割ぐらいのレベルであれば
実現可能なんじゃないか、と。

なんで実現可能だと思うのか、という話は
恐ろしく長くなってしまうので今は割愛しますが、
僕はルソー的な考え方がすごい好きなんですね。

ルソーは人間不平等起原論 という著書の中で


人間は生まれながらにして不平等である。

しかし、それ故に弱い者は強い者を見習い修練し、
強い者は弱い者を助けてやらねばならぬ。


という主旨のことを言っています。

この考え方が僕の心から離れないのです。

そして、これこそがベーシックインカム的な社会を
実現するための一つのキーだと思っています。

【能力の均衡】

【切磋琢磨】

こういった思想が最大の生産性を生み、育て、
一般的な平等という概念を凌駕するために
必要なものではないでしょうか。


弱い者は強い者を見習い、強い者は弱い者を助ける。


大事な言葉だと思うんだけどなー。

ではでは。

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どーも、ペスです。

前回の記事を書いてからちょこちょこ【ベーシックインカム】
というキーワードでブログに来る人が現れ始めました。

僕は実はベーシックインカム関連の書籍は一切読んでないので
ただ概念を知っているに過ぎないのですが、世間では結構
話題になってるんですねー。

まぁ自分達の生活に直接影響の出る考え方だから
興味があるのは当然と言えば当然か。

かくいう僕は、そーゆー実利的な側面には全く興味はなく、
どちらかと言えば【ベーシックインカムという考え方】
それ自体に興味があります。

哲学好きの嵯峨ですかね(笑)

考えることが楽しい。

そんなワケで、今回はなるべく難しい概念を交えずに
社会的倫理観という視点からベーシックインカムを
語ってみようと思います。


まずは社会的倫理観の話から始めましょう。

僕がここで言う社会的倫理観とは

働かざるもの、食うべからず

という世間一般に常識だと思われている倫理観です。

当たり前と言えば当たり前ですよね?

働いてない、つまり誰の役にも立ってないんだから
そんなヤツに飯を食う資格はない、と。

これは今の世の中だったら誰もが認めることだと
思われます。

しかし、です。

もしベーシックインカムが採用されたと仮定したならば、

働かざるものも食ってよし

という変化をもたらしはしないでしょうか?

これはある意味で基本的人権の尊重ではありますが、
僕は個人的に【働かない人】と【働けない人】は
一緒にしちゃいけないと思うのです。

社会的倫理観の話にちょっと戻りますが、
ここでの前提は

働かざるもの、食うべからず】

でしたよね?

それは決して

働けないもの、食うべからず】

ではありません。

この辺にベーシックインカムの社会主義的な問題が
孕んでいる気がするんですよねー。


某堀江氏(笑)はこの社会的倫理観を「古いのかもしれない」と
ブログに書いていました。

彼が言うには、

「30万円かけて20万円の利益しか生み出さないような仕事が
世間には溢れている」

「そんな仕事を無理矢理生み出して非生産的なことを
するぐらいならお金の無い人に直接20万円あげた方が
実質10万円の利益が出るんじゃないか」

と。

そーゆー考え方のようです。

僕もこれは一理あると思います。

特に公共機関などの仕事については、さもありなん、
という感じですし。

ただ、この考え方が常識化すると、今度は

働かないヤツが得をする

という誤った価値観が生まれてしまう危険性があります。

実際、働かないヤツはお金をもらえるのに
働いてる人は税金を取られるワケですからね。

そりゃそーゆーことも言いたくなるだろう、と。

要は、何でも平等にすりゃいいってもんじゃないよね?
ということです。

平等と専制が結合することになれば、心情と知性の一般的水準は
低下の一途をたどるだろう

ってトクヴィルも言ってますし。

あ、これは民主主義の話か。

まあともかく、平等を突き詰めると不平等が生まれる、
ってことが言いたかったんです、僕は。


国民全員が自分のやりたいことが出来るように
国が生活費を補償する。

この考え方自体は素晴らしいことだとは思いますが、
どこまで国民を国に依存させる気なんだ・・・とも思います。

いや、むしろ後者の方が強く思う。

【国とは何なのか?】【なぜ国が必要なのか?】っていうのを
一度でいいから考えてみて欲しいなー。


ではでは。

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どーも、ペスです。

GMがついに破産申告しましたねー。

リーマンの倒産といいGMの破産といい、
いよいよ近代企業崩壊の時代か、といった
雰囲気をかもし出している今日この頃ですが、
いかがおすごしでしょうか?

時代が大きく変わろうとしているのはもう誰の目にも
明らかだと思います。

中でも一番目立っているのは自動車産業ですね。

お国はこの自動車産業を支えようと高速道路を千円に
してみたり、エコポイント制度を取り入れてみたり
必死こいてますが、ガタがくるのは時間の問題でしょう。

だって時代が求めてないんだから。

ただトヨタやホンダを倒産させてしまうのは
さすがにマズイだろなぁ・・・。

では本日の本題へ。


今日はいつもよりもやや小難しい話を書いてみようかと
思います。

あ、いや、これは別にわざと小難しい話を選んでいるワケではなく、
たまたま書きたいと思ったテーマが多少難しいものだった、
というだけの話なんですけどね。

で。

早速話に入っていきます。

まずはタイトルにある「ベーシックインカム」とはなんぞや、
という話からしていきましょう。

ベーシックインカムとは、国が国民全員の最低限の
生活を保障しよう、という考え方です。

これは生存権とか基本的人権とかそーゆーのじゃなくて、
もうちょっと現実的に

「贅沢しなけりゃ暮らせるぐらいのお金はあげます」

みたいな。

もっとリアルに言えば、毎月10万円あげるから
今より贅沢したいと思ったときだけ自分で頑張って
稼ぎなさい、という感じ。
(かなり極端な例ですが 苦笑)

パッ見はびっくりするぐらい社会主義的なんだけど、
深く探るとどうやらそんな単純な話でもないらしいです。


さて、ベーシックインカムの説明は取り敢えず置いといて、
続いてはバーリンの自由論の説明。

バーリンが何者なのか、というのはウィキペディアで
調べてもらうとして、彼の自由論は知っておく価値が
あると思います。

バーリンの提唱している自由論は【積極的自由】と
【消極的自由】という2つの概念から成り立っているんですが、
これがねー、結構面白いんですよ。

【積極的自由】というのは「〜への自由」と表現され、
僕は「今持っている自由を広げる自由」という風に
この概念を捉えています。

対する【消極的自由】というのは「〜からの自由」と表現され、
これも僕は「今持っていない自由を獲得する自由」という風に
この概念を捉えています。

僕が思うに前者は【自然権的自由】、後者は【市民権的自由】
ではなかなー、と思うんですよね。

やや単純化し過ぎてるかもれませんが。

これらを言い換えるなら【人間としての自由】、【市民としての自由】
という感じでしょうか。


人間として自由を捉えたとき、そこに規制(法)はありません。

よくも悪くもそこは無法地帯。

ボッブズやルソーの話はここでは出しませんが、
自然状態では人間の自由は本人に依存します。

分かり易く言えば、全てが自己責任、ってことです。

ご飯が食えなくてもいきなり誰かに殺されても
自分を守れなかった自分が悪い。

逆に何を奪おうが誰を殺そうがやられたヤツが悪い、
という理屈も通用してしまうのがこの自己責任論です。

これがバーリンの言う【積極的自由】だと
僕は個人的に思っています。

【積極的自由】 = 【自然権的自由】 

とまでは言わないものの、それに近いものを
僕は感じています。

ただ積極的自由は「私」が「我々」に発展した際に
全体主義を生み出す危険性があるとして、
この思想に反対している学者が多いとか。

ま、今はそんなこと気にせず好き放題書きます(笑)


続いて。

僕の言う市民としての自由というのは
法律を守った上で成り立つ自由のことです。

こっちの方が一般の人には馴染み易いと思いますが、
要するに一般の人がイメージする自由のこと。

公園で遊ぶとか、スーパーで買い物するとか、
転職するとか、家を持つとか、そんなのです。

これが【消極的自由】なんじゃないかと。

これも

【消極的自由】 = 【市民権的自由】

とまでは言い切れませんが、個人的には
かなり近いものを感じます。


ここからがやっと本題(笑)


じゃあ我々が求めるべき自由は何なのか。

それを考えていってみます。

まずは日本の一般論として、

「お金があれば働かなくていい(自由になれる)」

と思っている人は大勢いると思います。

そう思ってなければ宝くじなんてものは
売れないでしょうから。

ではベーシックインカム制度が導入されたと仮定して
生活に必要な最低限の収入が保証されたとしましょう。
(これに伴うリスクは取り敢えず今は考えません)

これで労働という束縛から解放されました。

働かなくても生きていくことが出来ます。

でも、これって本当に自由なんでしょうか?

「労働からの自由」というのを当てはめれば
これはバーリンの言う消極的自由を
獲得したことになります。

ただいくら働かなくてもよくなったからと言っても
車や家や服なんかは欲しいですよね?

というか、贅沢したいときはありますよね?

この時点で今度は「買えない不自由」
という拘束(壁)が登場するワケです。

働かなくてもいいけど、買いたいものが買えないんじゃ
それは自由とは言えないんじゃないか、と。

じゃあ今度はベーシックインカムを更新した
スーパーべシックインカム制度を導入したと
仮定しましょう(スーパーって何なんだ・笑)

あなたの口座には毎月100万円勝手に振り込まれます。

夢のようですね。

お国さまさまです。

これならちょっと節約して生活すれば車も買えるし、
2年ぐらい貯金すればキャッシュで家が買えます(笑)

これで多分お金の拘束からは解放されました。

じゃあこれで本当の本当に自由になれたんでしょうか?


そういえば、俺、モテないじゃん・・・


今度はなんと、恋人がいないという人間的な障壁が
浮かび上がってきました。

ちなみにこの拘束から解放してもまた次が出てきます。

で。

最終的に行き着くのが、全部手に入れたけど、
何か物足りないなー、という障壁(感覚)。

ここからが積極的自由(自由を広げる)の世界です。

ただ注目して欲しいのは、この積極的自由な人間は
通り魔殺人的にバンバン人を殺したりするのか、ってこと。

人のモノを奪ったり盗んだりするでしょうか?

僕が思うに、多分そんなことはしないと思うんですよ。

つまり、この時点で積極的自由の概念が変わっていることに
気付いて欲しいのです。

単純に積極的自由と消極的自由の話をする場合には
両者は対立するものとして扱われていますが、
僕が思うに、本当の意味での積極的自由というのは
消極的自由を踏まえて乗り越えた状態ではないかと
思うんですね。

アウフヘーベン的に。

自己理性的自由と言い換えてもいいかもしれません。

自らの理性(善)に従って、自らの欲求(目標・壁)を設定し、
自らの努力によって自由(可能性)を広げていく。

これを目指すべきじゃないかと僕は思うワケです。


そしてそして。

ここから話は急展開するんですが、ベーシックインカムなんかに
頼ってちゃ、その自由というのは獲得出来ないんじゃないか、
というのが今の僕の見解です。

前提全崩し(笑)

今までの話は何だったんだ、って感じですが
お許し下さい(笑)

というか、そもそも論としてベーシックインカム制度は
上手くいかない、というのが僕の立場なんですよ。

まぁ根拠は色々あるんですが、ひとつ大きいのは
経済的に平等な社会は個人的に不平等な社会だからです。

仮に毎月10万円を国民全員がもらえるとして、
その税はどこから徴収されるかというと、
一生懸命働いた人から徴収されるワケですよ。

反面、働いてない人は税金を払わずに毎月10万円もらえる。

これのどこが平等なんだ、と。

典型的な社会主義崩壊の公式です。

ただまぁこれはベーシックインカムの考え方を
単純化し過ぎているので、利他主義なんかを
取り入れていけば上手くいく可能性もあります。

難しいとは思いますが。

とにかく。

与えられた自由というのは、結局自由でも何でもないんだ、
ということが僕は言いたいのです。

それは自由を与えたと見せかけた拘束に過ぎません。

もうこれ以上深くは突っ込みませんが、
日本の民主主義は本当に【民主】主義なのかというのを
考えれば自ずと答えは見えてくると思います。

そして本当の自由とは、自ら壁を乗り越えた結果としてしか
手に入らないんだということを分かってもらえればなー、
と思う次第です。

長々と読んで頂き、ありがとうございました。

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どもー、ペスです。

どうやら僕は朝にシャワーを浴びている時が
一番アイデアを閃きやすいようです。

ってなワケで今日も閃いてしまいました。

「趣味って何だろう?」って。

もうちょっと厳密に言えば
「趣味を趣味たらしめているものは何だろう?」って。

よく世間では趣味と仕事は別にしたい、とか
趣味を仕事に出来た人は幸せだと思う、とか
色々言われるけど

「趣味と仕事って何が違うの?」

「趣味を仕事に出来ない人は、なぜそう出来ないんだろ?」

「仕事と趣味が一緒なら、本当に幸せなんだろうか?」

という、もろもろのことを思ったワケです。

んで。

まずは趣味を趣味たらしてめているものを考えてみました。

案外簡単に見つかってビックリしてるんですが、
僕が思うに、趣味を趣味たらしめている要素は
主に2つです。

 ● 中途半端さ
 ● 世間的認知度の低さ

これだけ。

この2つを無くせば趣味は仕事になるんじゃないか、
ってのが今のところの僕の見解です。

一応説明しときます。


● 中途半端さ

これは読んで字の如く、そのまんま。

例えば

「俺はピアノを弾くのが趣味なんだ」

という人はある意味

「俺は中途半端にピアノを弾いてるんだ」

と言っているんじゃないか、ってことです。

あ、これは別に軽蔑してるワケじゃないので
そーゆー風には捉えないでね。

他にも

「私は料理が趣味なんです」

という人も恐らく

「私は中途半端に料理やってるんです」

と言っているようなものだと思います。

公言しなくとも、心のどこかでそーゆー意識があるから
「趣味なんです」という言い方になるんじゃないか、と。

仮に中途半端じゃなく本気でやっているなら、
「趣味なんです」なんてことは言えないし、
言わないと思うんですね、僕は。

まあ謙遜で言ってる可能性も否定はしませんけど。

そんな感じ。


● 世間的認知度の低さ

これも読んで字の如くなんですが、
いくら本気でやってても誰にも知られなけりゃ
それは仕事にはならんでしょ、ってことです。

また一方で、世間的認知度が高くても
中途半端さ(意識の低さ)があれば
それも多分仕事にはならない。


趣味が高じて仕事になった、という人が世の中にはいますが、
上記の2つの要素によってこれが説明出来ます。

つまり、趣味でやってたつもりが段々本気になって、
本気になってやってたら質の高さがクチコミで広がって
どこからともなく仕事の依頼が来た、という感じ。

この場合、クチコミで広がるかどうかは
完成されたものの質の高さに依存します。

また、クチコミが起こるかどうかは本人の交友関係や
公的活動(ブログで公開している等)の範囲に依存します。

話は戻りますが、僕の考えが正しければ、【中途半端さ】と
【世間的認知度の低さ】さえ取り除けば、それはもはや
趣味ではなく仕事に成り得る、ということです。


じゃあ逆はどうでしょ?

仕事を趣味にすることは可能なのか?

これを考えるにも、仕事を仕事たらしめている要素を
考えないと多分見えてきません。

これは僕が考えるに主に1つ。

 ● 生活の維持(金銭的不安)

これを無くせば仕事は仕事ではなく、個人の好み、
つまり趣味にすることが可能なんじゃないか、と。

こっちも一応説明しときます。


● 生活の維持(金銭的不安)

要はお金のこと。

自分が普通に生活出来る程度のお金があれば
「しなければならない」という強制を受ける仕事を
する必要はなくなります。

仮に、毎月100万円を無条件で振り込みます、
みたいなことが世の中に起こり得るならば、
恐らく仕事は全部趣味になるんじゃないかと。

(※ こーゆー仕組みをベーシックインカムという)


ただ、仕事を趣味にするのはやっぱり非現実的だし、
個人的には趣味を仕事にする方が健全だと思います。

もし金銭的に自由だという理由から仕事を選ぶとしたら、
その仕事は傲慢にならざるを得ない気がするしね。

なぜなら実力のないヤツでさえ

「俺はいつ辞めてもいいんだぜ?」

みたいな態度で仕事が出来ちゃうから。

それはそれでいかがなものかと・・・。

趣味が仕事になっても傲慢さは出てくるかもしれないけど、
こっちの傲慢さは実力に由来してるから、ほとんどは許せる。

ってかそれこそが仕事の最高峰だとさえ思う。

ま、こんなこと言いつつも、本当の実力者は
往々にして傲慢どころか寛大なんだけどねー。

では。

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どーも、ペスです。

先日の朝、たまたま「とくダネ」のオープニングで
小倉さんが就活人気ランキングについて
喋っているのを見ました。

その情報によるとリクルートの調査では、どうやら今年は
インフラ関連の企業に人気が移り、
大企業がやたら不人気になっている、とのこと。

一応ヤフーでも確認しましたが、やはり似たようなことが
書かれていました。

いやはや、いよいよここまで来たか、って感じですね。

ちょっと前に大阪市(だったかな?)が中途雇用の
求人を出したら倍率が300倍ぐらいになった、
みたいなニュースがありましたが、その状況と
似ています。

この理由を問えば誰もが

「不況だから」

と答えるでしょうが、それって考えて出した
答えですか?と僕は問いたい。

世間がニュースが偉い人達が「不況だ」とか言ってて、
トヨタやパナソニックみたいな大企業が業績不振で、
バタバタと企業が潰れるからインフラを選ぶんでしょうか?

それはちょっと短絡的過ぎやしないかい?と
僕なんかは思ってしまうワケです。

なぜそんなことを思うのか。

それはあまりにも【時代性】というものが
見過ごされているからです。


では、ちょっとだけ平成という時代を振り返ってみましょう。


まず、平成バブルと呼ばれていた時代。

僕が小学生になるぐらいまではバブルだったはずなんで、
大体17か18年前といったところかな。

この頃はどこも羽振りがいいから民間企業の人気が分散。

企業の内定合戦なんて言われて学生の内定を奪い合うぐらい
どこの企業も潤っていました。

つまり、中小企業も人気があり、逆に好景気の恩恵を
受けられない公務員は給料が安いと見下される傾向すら
あったワケです。


そのバブルが終わり、90年代後半。

今度は平成不況と呼ばれる時代に突入します。

大企業も方向転換をやむなくされ、
ソニーがプレイステーションというゲーム業界に
殴りこみをかけたのもこの時代。

ソニーは当たりましたが、セガは大ハズレでした。

あと、任天堂もかなり苦しんだ時代です。

この頃は何が人気だったかというと、
主に公務員。

今度はみんな安定を求め始めたワケです。

そういえばデカイ金融機関が潰れたのも
この時期でしたねー。

バブルを経験していない僕ら世代にとっては
銀行が潰れることはもはや常識なんですが・・・。


00年代前半になると「ほりえもん」の登場を筆頭とする、
ベンチャー企業人気。

なぜかは知らないけど

「今はベンチャー企業が熱い!」

みたいな風潮が世に出始めました。

この頃は中小企業というよりも
出来て間もないベンチャー企業が人気で
大企業に就職出来るような高学歴の人でも
ベンチャーに乗り込むことが案外多かった。


んで、今。

00年代後半。

インフラ企業が大人気。


まさに時代が反動で動いていると思いません?

不安定 ⇒ 安定 ⇒ 不安定 ⇒ 安定

って。

詳しくは【未来を予見する5つの法則】って本を
読んでもらいたいんですが、要は

時代は反動を利用して形を変えながら繰り返す

ってことが言いたいんです。

中小企業や大企業 ⇒ 公務員 ⇒ ベンチャー ⇒ インフラ

ってね。

例えば公務員もインフラ企業も安定しているという意味では
一緒ですが、種類は全然違います。

つまり、【安定ブーム】(?)が形を変えて返ってきた、
と見ることが出来る。

今が安定志向ということは、恐らく次はその反動で
【不安定】なモノに人気が移るだろう、と
ある程度予想できてしまうワケです。

中小企業や大企業、ベンチャーでもない不安定な就職先というと
次は恐らくは【起業】ではないかと僕は踏んでいます。

ホントに当たりそうで恐いですが、
結構自信あります(笑)

いつなのか、っていうのは分からないですけどね。

まぁ1〜3年後ぐらいじゃないかな。

日本が段々をアメリカ型に移ってきているのは
もう明らかだし、アメリカと言えば起業大国ですから。

そんな感じでございます。

朝の報道番組も案外役に立つもんだ(笑)


ではではー。

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